第1章 当時の実力
非常に内容の薄い練習ながら半年が過ぎました。
当時の私は、サーブはとりあえず100%間違わないで出せる状態です。
スマッシュも浮いた球を叩くだけでしたが打てました。
しかしドライブが出来ない。
戦型が「ペンドラ」にもかかわらずです。
結局ドライブがちゃんとできたのは社会人になってからですね。
得意なのは「顔キレサーブ」です。
もうラバーは死んでたので、どんなに回転かけてもナックルサーブしか出せません。
そこで相手を睨みつけながら、苦い薬を飲んだ時を思い出しながら切れてそうなサーブを出してました。
勝負どころでは「じらし作戦」も使いましたね。
構えてからそのまま死んだように動かなくていきなりサーブ出したり、何度も構え直したり。
てな感じですが、なんとか試合のまねごとは出来ました。
USA for Africa - We are the World
ボブディランが自分のパートを歌えなくて仲間に指導してもらったという逸話があります。
それほど皆が持ててる全てを出しつくした奇跡の一曲です。
小学生の私は、黒くて痩せこけてました。
そのせいか「アフリカのノーベル賞候補」なんて卒業の書き寄せに書かれてましたね。
だからアフリカの危機は人ごとではない気がしてました。
さりとて家も貧乏だったので何も出来ませんでしたが。